KOMATSU KABUKI KANJINCHO小松市と歌舞伎
「勧進帳」

小松市内を流れる梯川の河口に位置する安宅。
源平合戦の名残をとどめ、北前船の寄港地として栄えた歴史が息づく港町です。
河口の対岸、日本海の夕陽が美しい安宅住吉神社の松林には、ここに関址があったことを示す石碑が、潮風を受けてひっそりと佇んでいます。
それは八百年の時を超え、歌舞伎「勧進帳」に演じ継がれる物語の舞台。
兄である源頼朝の追跡を逃れ、奥州へと向かう義経・弁慶主従を捕えるための関所。
伝説に彩られた悲運の武将の足跡を訪ねて、今も多くの人々がこの地を訪れています。

引用元:国立国会図書館

勧進帳とはAbout "Kanjincho"

 勧進帳とは、寺院建立などの目的で寄付金を集めるための趣旨を書いた趣意書のこと。源頼朝の命により義経捕縛を目的に冨樫左衛門が設けた関所「安宅の関」を突破するため、山伏に扮した武蔵坊弁慶が関所冨樫の前で、焼失した奈良・東大寺再建の寄進を募る勧進帳として読み上げる、というストーリーが歌舞伎の芸題「勧進帳」となり、広く知られるようになりました。
 元は、謡曲「安宅」にある物語で、当初は「能」によって演じられ、歌舞伎では江戸期の元禄十五年(1702年)初代市川団十郎が最初に演じています。その後、能の様式を取り入れ、七代目市川団十郎により天保十一年(1840年)江戸の河原崎座で初演されました。明治時代に九代目市川団十郎により、安宅の関での関守冨樫・山伏姿の弁慶・強力(ごうりき)姿の義経といった現代のスタイルが完成。以来、今日に至るまで演じ続けられ、歌舞伎十八番の一つとして最も有名な演目となっています。
 この勧進帳の物語は、映画「七人の侍」などで知られる世界的な映画監督・黒澤明によって映画化。「虎の尾を踏む男たち」の作品名で公開されています。また、安宅の関を訪れた歌人、与謝野晶子・鉄幹夫妻の「松たてる安宅の砂丘その中に清きは文治三年の関」「住吉の神をかしこみしりぞきて冨樫の据えし新関のあと」など、往時に思いを馳せた短歌が安宅住吉神社に奉納され、その一首が歌碑となって松林の中に残されています。

子供歌舞伎と勧進帳"KodomoKabuki"and "Kanjincho"

 小松市で毎年五月に開催される、お旅まつり。江戸時代に始まり、今日まで二百五十年の歴史を誇る伝統芸能「曳山子供歌舞伎」は、近江長浜、武蔵秩父とともに日本三大子供歌舞伎の一つに数えられています。名工が技を競った絢爛豪華な曳山舞台の上で、華やかな伝統衣装を身にまとい懸命に演じる可憐な少女たち。そして、名高い歌舞伎・勧進帳の舞台となった安宅の関。これらの歴史や町衆文化を背景に、市民が一体となり「歌舞伎のまち・小松」を全国に発信し続けています。

勧進帳と安宅の関
<周辺のみどころ>
"Kanjincho" and "Ataka no Seki"

安宅の関址

安宅住吉神社

 古くより陸・海路の要所として栄えた北国の港・安宅の地に祀られる安宅住吉神社は「安宅の住吉さん」として親しまれ、昔は安宅住吉大明神、住吉宮とも称された。その創建は古く、歴史を遠く遡ること千二百有余年の天応2年(782)と伝わり、正保4年(1647)現在地に遷座された。その名は古典にもしばしば見られ、北陸道往来の人々が必ず詣でた古社である。

勧進帳ものがたり館 ※現在リニューアル中

 義経と弁慶一行が、安宅の関守・冨樫に疑われながらも難を逃れたとの伝承から、難関突破に霊験ありとされ、全国唯一の難関突破の守護神となっている。
 神社には勧進帳の場面を描いた貴重な押絵や錦絵などがあり、また境内には「勧進帳」の舞台として有名な史跡「安宅の関跡」、与謝野晶子歌碑をはじめ塩田紅果句碑、森山啓文学碑など多くの石碑が残されている。
 また、隣接する「勧進帳ものがたり館」には、シアターゾーン、義経・弁慶発見ゾーン、安宅発見ゾーンの3つのゾーンがあり、詳しく「勧進帳」を紹介しています。

うみのえき安宅

 現代歌舞伎「勧進帳の世界」のステージとなるのが、ここ「うみのえき安宅」。海側に設けられる特設舞台では、夕日が沈む日本海を背景に、薪の篝火が揺れる幽玄の世界で、物語が繰り広げられてゆきます。また、うみのえき安宅では海を一望しながら軽食やお茶を楽しめるのはもちろん、売店コーナーでは、小松市内の物産が販売されていて、安宅関にちなんだ商品が小松の土産として人気があります。